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2018. 05. 14  
「教会」の中で活躍の場がなかなか与えられていない「非正規雇用牧師」であっても、藁をもすがる思いで相談に来られる方がある。
その声に耳を傾けるたびに思うのは、「この方に『寄り添う』ということを明確に意思表示することの難しさ」や、この社会に対する憤慨、神の不在を思う自分の不信仰、そんなさまざまな私の感情である。
相談をされる方にとっては私の感情なんて極端な話どうでもいいのである。しかし、その事柄に対していかんともし難い「痛み」をやはり感じてしまうのである。

「信仰があれば山が動く。」(マタイ21:21あたりから取られた格言的なもの)という言葉をつぶやくようになった。
以前はこういう極端な奇跡についての言及は好きではなかった。信仰で なんでもできるんだったら・・・人の不幸なんて有り得ないだろ?と思っていたから。

いつか本田哲郎神父の『釜ヶ崎の福音』の中で、その言葉に対して「神の力を信じてその細腕でもなんでもいいから動かしてみろということ」という趣旨ののもを読んだとき、これならわかると思った。

「信仰があれば山が動く」というのは人間の期待に対しての言葉なのだ。
神の言葉と存在を信じて、手足を動かして、震えながら行動して生きようとする人間の期待の言葉なのだ。
神はその期待を無碍にしない信頼できる方なのだ。
そのような神への信頼をこめた「山が動く」なのだ。

ずいぶん遠回りな納得の仕方をしたものだが、わたしにとってはこの遠回りが必要だった。

「信仰があれば山が動く」というのは、ひとつの信仰告白である。
「山が動く」という物理的事実ではなくて、そのような人間の期待とその期待を無碍にしない神の存在が示されていること、それが大事なのである。
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プロフィール

爽歌*sayaka

Author:爽歌*sayaka
1984年北海道某市にて出生。2015年に某神学校卒業。
2015年4月からある教会に副牧師として着任。
牧師のほかに福祉関係の仕事に従事しながら「僕仕」の道を歩み始める。

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